なぜ今の俺の生活が荒んでいるのかを書き残しておこう。

メタ的な意味で一番大きいのは、実現したい現実的な未来が描けていない事。それさえあれば、実現に必要な具体的なステップを逆算して割り出し、それを毎日こなしていくことにのみ熱中して、快活な生活を送れるはずだ。話が具体的でないのが、良い証拠。もうどうにもならないという絶望感ときっと何とかなるさという躁状態のスイッチングだけでその場を凌いで、分岐点に差し掛かる瞬間の直前まで目をつぶり続けて分析をしないもんだからいつまで経っても中学生みたいな精神性と度量のまま、穀を潰してる。

だからまず第一の処方箋は、自分で一から物語を作る練習をすることなのではないかと思う。ただ一つ問題なのは、目ばっかり肥えてるせいで、自分の手作りした作品に面白さを見出すことが出来ずに飽きちゃって、途中でうっちゃってしまいがちなことだ。いくら逃げちゃダメだと自分に言い聞かせて作品を書き上げたとしても、実際のところは興味を持っていないわけだから、そこからインスピレーションを得たり自分を奮い立たせたりといったような効果は望めず長続きしない。

俺の中で今確信めいていることは、自分の”作品”から活力を汲み出せるものこそ、真に意味のある活動足りえるということだけだ。

二つ目は金がないこと。

特に書きたいこともないのだが、書かねば死んでしまうので仕方なく書く。これは誇張ではない。書いて自分の意思を作り上げる練習をしておかないと、コミュニケーションに不調をきたし、社会的に抹殺されるのだ。人を安心させるにはまず自分自身が自らの闘志に燃えて自立している状態でなければならないらしい。そして人を安心させることのできない人間は、居ても邪魔になるだけだからはじかれる。露骨に村八分ということにはならないだろうが、少なくともあなたの欲しいものは何も手に入らない。あなたが望むものを手に入れたいのなら「玄人」にならなければならない。

具体的なことを語れない人は素人である。素人とは自分の他に興味関心を持つモノがない状態のことである。そのモノについて熱を込めて語ることを通じて、迂回的に自分がどういう人間であるかを知らしめることになるという形態が、どうやら人間社会では「正常」であるらしい。素人は社会的に弱い。残念だが自分の弱さに安住することはすなわち死を意味する。それは僕たちに「面白い」という感情がある限り仕方がない。弱い人はすることなすことすべてにおいてつまらないのだ。

 

俺は自分以外の物事に興味関心がない状態のことを鬱と呼ぼうと思う。

男子校の思い出

まだ知り合って日の浅い人とお話しする機会があると、決まって出身校の話になりがちである。特に僕の場合男子校という特異な環境だったからみんな興味持って聞いてくる。だから一度男子校での生活とは何だったのかについてまとめておいた方が良いだろうと思って、今日ここに書き連ねる。

僕の通っていたのは地方の私立進学校。従って、全国各地から集結した野郎どもがどでかい「寮」というハコに収監されていた。

中学時代は個室という概念がなく、高校生になってようやく刑務所並みの広さの独房を貰えた。パノプティコンほどには猟奇的な構造ではなかったが、中学時代は同じ階のすべての部屋は同じ一つの廊下に面しており、その間に舎監室が、両端には防犯カメラが設置されていた。高校時代には、中庭を囲むように部屋が軒を並べており、中学時代のように全室を一望できるわけではないと思いきや、中庭を囲う四隅は部屋ではなく大きなガラス窓、つまりそのガラス窓から中庭の方向に臨めば、対岸の部屋が見渡せるという構造なのだ。だから普通のプライバシー意識を持ってるやつなら基本的に中庭に面した自室の窓は常にカーテンで覆った状態にしてある。消灯後には廊下に面した窓と中庭に面した窓の両方から見られている可能性を考えながら、びくびくと漫画を読まねばならないのだ。

朝は7時20分に点呼、8時10分登校完了、16時半頃に学校が終わり、18時ごろに部活が終了。その後19時15分までに風呂と夕飯を済ませ、22時45分まで自習時間。そこから15分で就寝準備を済ませて23時完全消灯。どこで遊ぶねん!

生活の自由度はかなり低いし、周りに遊び方を教えてくれる大人もいない。皆それぞれ地元で仕入れてきた人生経験を基に、遊ぶ奴はどんどん出かけるし、勉強する奴はどんどん勉強するし、暇な奴はボールを追いかけたり友人とくっちゃべってたりするわけだ。

こんな環境で育った子供たちがまともな感性と品性を持っているわけもなく、今思い返してもかなり異形な面々がそろっていた。

まず一番記憶に新しいのは、Aくん。Aくんは学校の授業は一切聞かずに、東進と参考書でひたすらバリバリ独学を続けていた強者。模試の成績は大抵彼が上位をかっさらっていってた。だが彼にとって受験勉強はあくまで医学部進学のための道具でしかない。高校二・三年生頃になって思考力が大方完成されると、最低限の勉強だけして後は悠々自適な生活を送っていたように思う。中学生のころには図書館で大量の科学本を借りて読み漁っていたように記憶しているのだが、大学生になった今でも読んだりしているのだろうか?そしてまぁ勉強ができるやつにはありがちなのだが、彼はとても喧嘩っぱやかった。頭に血が上りやすいという性向もあっただろうが、それに加えて彼自身公言していたように喧嘩は人間の成長にとって良いことだと捉えているフシがあったのだ。感情を言語化し、瞬時に相手を言い負かすだけの語彙力、論理的思考力を鍛える練習になるとおそらくは考えていたのだろう。おおむね僕も賛成する。実際彼は言葉の通り、人の欠点をあげつらい、人のギャグには無邪気に笑い、喧嘩になれば一歩も引かずに真剣に口論していた。友達の顔面を殴り、授業中先生に「だるまさんがころんだ」を仕掛けるなどして何度も自宅謹慎に処され、禁止されている魚を捌き、ブスだの臭いだの罵っていた(こう書くと相当ヤバいなw)し、先生だろうが舎監だろうが反骨精神を忘れずにらみつけ、機械があれば口答えしていた。実際彼の弁論に勝てるものはそう多くなかった。口が上手いだけじゃなく噴火のごとき気迫も伴っているから厄介なのだ。彼の弁論に対抗できる見込みのあるやつも大抵は彼の覇気に押されて自ら身を引いていた。むしろ彼が一番やりにくそうだったのは、特に論理的思考が優れているわけではないが、スポーツやお喋りでどこか人を惹きつける力を持っている「権力者」かつ頭に血が上りやすくいタイプだ。

 

色々上げてきたが、日常を惰性で生きていないという点では彼らに尊敬の念すら抱いている。

嫌よ嫌よも好きのうち

突然ですが、わたくし昨夜ワールドカップの大盛り上がりの中、失恋いたしました。

まさか”失恋”なんて言葉を使う日がくるとは思ってませんでした。そもそも色恋沙汰すらあまり主題に挙げてこなかったので。

失恋した今の実感を率直に言うと、「不安」ですかなぁ。

失恋したら涙が枯れ果てるまで泣き続けるんじゃないだろうかと思っていたのだが、多少動揺しただけで、いつもの生活リズムから大きく踏み外したり、誰とも喋る意欲が無くなったりということは一切なかった。むしろ快活におしゃべり出来てるまである。これは好意的に捉えれば、僕は他人に依存することのない「強い」人間だったのだと考えられるかもしれないが、穿って見れば、これはたぶん「まだ失恋したことを受け入れ切れていない」という状況なんだと思う。まさかここまで自分が自分に都合の良い解釈しかしようとしない偏狭な人間だとは思ってなかった。好きな人に、僕とは別の好きな人が居るということが分かってもなお、僕はまだいかにしてその好きな人に会えるかばかりに考えを巡らせているのだ。女友達くらいにはなってくれるかもしれない。女友達の作り方の相談に乗ってくれるかもしれない。お出かけくらいなら一緒に行ける仲になるかもしれない。いっそのことその好きな人の恋愛相談に乗っちゃって、高みの見物、野次馬根性を装い、最終的に仲を深めるきっかけにしようとさえしています。僕の脳みそは。

安易な絶望はしたくない、安い超克はしたくないと意地はってるからでしょうか。

 

日を改めまして、今度は分かりやすく絶望した。Aさん(僕の好きな人)に好きな人が居ることが分かってから後に、Aさんと接触する機会があったのだが、そこでものすごく冷たくあしらわれた。あんなに平静ぶって分析してても動揺を隠せずに、授業を聞いていても友達とどうおしゃべりするかばかりが思考をジャックし、夜はとにかく襲い掛かる不安から一瞬でも逃れるために暴食してみたりYoutube見てみたりゲームしてみたりとかなり必死。そうしてスマホの音を子守歌に自分を慰めながらでないと、眠りにつくことさえ出来ないのだ…

人間関係が僕の人生に悪影響を及ぼしているのは明らかなので、今回は誰かを好きになったり嫌いになったりするにはどういう条件が必要かということについて考えてみたい。

これは本当に個人的な事情なのかもしれないが、人を好きになるための条件は、まず相手から好意を向けられることだと思う。「個人的な」という留保をつけたのは、画面上でしか見たことがないタレント、俳優、アイドルなどに対して本気で恋をしている人が居る現実を知っているからだ。だが僕はこれには少し懐疑的で、僕が著名人の言動に画面越しに心を打たれたり、あるいはタレントの声や見た目に対して親しみを覚えたりする、あの安心感を恋愛感情だと錯覚しているにすぎないのではないかと思うのだ。僕も中高生時代人並みに(?)配信者や歌い手を追っかけまわした時期はあったが、それは恋愛感情では全くなかった。恋愛感情とは、あの人をどうにかして自分のものにしたいという感情のことだとするならば、僕は別に歌い手の色恋沙汰になど全く関心はなかったし、色男に手玉にされてようが嫉妬も何もしなかったと思う。ただ安心と不足した女性成分をコンテンツに求めていただけで、その人自身をどうにかしてやろうとは考えなかった。とはいえ、この「安心感」を恋愛感情に昇格させる方法は確かにある。

それは直に会いにいくこと。直に対面して、その人の体温、息遣い、言動を肌で感じ取り、こちらが話しかければ相手がそれに答えるというコミュニケーションの通路を開通させることである。

傍から見ればいわゆるオタクや追っかけは画面上に貼りついているだけで、何の根拠もなしに虚妄に入り浸っていると思われがちだが、実は配信やライブ、握手会での数少ないやり取りを丹念に拾い集めて恋愛感情を醸成しており、その点では市井の方々と何ら変わるところはないのである。

だからまず人を好きになる、というか人に執着するようになるには、まずもってこちらが送り付けたメッセージに対して相手が好意と共に返答するということが必要なわけだ。

 

ここまで恋愛感情についての定義を固めていって一つ気が付いたことがある。それは、恋愛感情を援用するだけでは、恋人以外の他人について健全な人間関係は構築できないということである。

 

相手の好意を受け取って初めてその人のことを好きになる主体が二人いた場合、どちらが先に相手に好意をプレゼントするかという問題がある。好きにさえなってしまえばそれ以降相手に送るメッセージは全て好意の伴ったものになるが、相手のことを好きになる前は、原理的には好意は伴わない。つまり、相手のことを好きになろうとしても、他ならぬ自分自身が相手に好意を送っていないために、相手も好意が沸き上がることなく、相手から送り返されるメッセージに好意が乗ることはない。そうすれば自分の中に好意が生まれるはずはなく…という循環構造に入るわけだ。「恋愛感情」を定義するだけでは、人は誰も愛することは出来ない。

そこでこの循環構造を打ち破るものが必要になってくる。それは先に述べた、「安心感」を、「好意」に読み違えるという振る舞いである。

「安心感」は、人を楽しませる力であったり生きる基盤や指針を与えてくれたり経済的に良い思いをさせてくれたり知的・性的に興奮させてくれたり容姿であったり気遣いであったり、といった人それぞれの個性に惹かれて醸成される。それは画面上であろうと対面であろうと関係がない必要なのは一方的な「関心」なのである。

「安心感」があると人はそちらの方へ惹きつけられ相手とコミュニケーションを図ろうとするのが自然だが(人は本能的に「交換」したい生き物なのである)、その時話しかけられた側は、自分に対して好意があるから話しかけられているのだと錯覚し、二人を惹きつけた「安心感」という実の裏に、「恋愛感情」という虚を認める動作を行う。それが本能によるものなのか、あるいは彼氏彼女で一人前という社会的要請によるものなのか、正直よく分からない。とにかく一度「恋愛感情」という虚の実在を認めてしまえば、自分の中に「恋愛感情」が実として現れ、相手はそれを感じ取って「恋愛感情」が実に成ってしまう。一度循環が始まれば指数関数的に好意は増大していくことになる。

 

この世に私とあなたの二人しか居ないのであればこれまでの話ですべて説明がつく。しかし第三者が現れた場合、事態はより複雑になる。

日を空けすぎたのでここまで

怒髪冠を衝く

最近、活力の源は怒ることにあるのではないかとよく思う。

僕は久しく誰かに対して怒りをぶつけたことがないが、それは別に僕が菩薩のように温厚だからというわけでは決してなく、単に無気力で怠惰な人間だから怒ることさえめんどくさがってやらないだけだ。人に対して怒るには膨大な労力がかかる。もちろん、それは怒声を発するのに相当のエネルギーを必要とするというのもあるが、それ以上に怒りをぶつけた後の、関係修復作業や修復に失敗した際の今後の身の振り方であったりが煩わしいのだ。あるいは怒りをぶつけた先の相手の心の傷のことや逆に反撃されて己の瑕疵をつまびらかにされることを恐れて、という面も見過ごせない。怒るには、それ相応の労力をかける覚悟と人間の汚い部分を見てもなおお気楽に生きていけるだけの胆力とが必要なのだ。

中高生あたりからだろうか、僕が人に対して怒ることを止めたのは。大抵の問題に関して、僕は自分の正当性を信じられずに問題の大きさに恐れをなして、ただ押し黙るという選択をしてきたし、明らかに自分が正しいと分かっているときでさえ、人に対して厭味ったらしく文句を言う自分の姿を想像するだけで吐き気がし、また相手の気色の悪い性根にひいてしまって、怒る気なんて起きなかった。だが、もっと根本的な原因として、相手に言い返すのなら、相手が二の句を継げないほどに言い負かさないとだめだと気負いすぎたことがあるかもしれない。相手と喧嘩をしようと思うのなら、ただ単純に馬鹿だのあほだの暴言を吐くなり相手の容姿を責めるなりすればよかっただけなのである。それはすこぶる幼児的な喧嘩ではあるが、相手を完膚なきまでに叩きのめす良い言葉はないかと考えあぐね、結果思いつかずに押し黙り、果ては無言で後を去るなどするくらいなら、暴言だけでも吐き続けてるほうが、「交流」が成り立っているという意味でよっぽど生産的である。だが僕はそれに気が付かず、沈黙を貫いてきた。臆病さにとらわれた青春時代だったわけだ。でもこういう怒れない人って最近結構いるんじゃないかと思う。

さて、あれから幾年か経って成人もした今、人に対して怒りをぶつけられるようになりたいと思う。それは怒るというのがコミュニケーションの一環であるという面に併せて、もうひとつ怒ることの恩恵があると思うからだ。

怒るということは、何かに対してこだわりがあり、そのこだわりを他人に蹂躙されたから我慢ならずに相手に説得するなり反撃するなり色々するという、こういう一連の流れがある。怒るには「こだわり」がないといけない。また、相手に対してただ暴言を吐くだけなら相手に感情を伝えることは出来るが、納得はさせられない。相手に自分の主張を聞き入れてもらうには、いかに自分はその物事に対して情熱があり、洞察があるかを言葉にして伝える必要がある。要するに誰かに対して怒れる人というのは何かに対して愛情が深い人だということだ。たとえそれが歪んだ愛であろうとも、愛情は深ければ深いほどパワーになる。それが理に適っていれば新しい秩序を打ち立てる正の力となるし、歪んでいれば秩序を破壊する負の力となる。事の正否は置いておいて、怒るというのは生きる活力を与えてくれるのだ。

だから俺はもっと全面的に怒ろうと思う。

それは愛情を深めるということ、関心を持つということ、自分の感情を押しつぶさずにちゃんと耳を傾けること。

生きることと怒ることは表裏一体であるべきなのだ。

大人の男女の会話

旅行にまつわる話。

ザ・オールド台湾。ザ・じゃなくてジ・な⁉

箱根みたいな温泉地。

お次は台北。プロポーズしたくなるスポット。→ここに女子連れてったら機嫌回復させられる地震がある。深夜便で行く羽目になってちょっと彼女の機嫌が悪くなっても、ここ連れてったら「いいよ。」ってなる自信がある。

現地にいる車持ちの友達とブース借りて、夜景を見ながら花束でも渡したら-120から100点に持ち直せる自信がある。でもそういうカップルスポットに単身で行くとむなしくならない?

台北に飽き飽きしてたところに

現地の人に連れてってもらうマル秘スポットはやっぱ違うよね。ツアーとかじゃ絶対行かない。

お母さんと一緒に行ったときはめっちゃ占いした。当たってた気がする。

なんて言われた?

細かいの覚えてないけど、四つ上で私が好きな人がいて、その占い師の人に「四つ上の知り合いに連絡来たらその人優しい人だから逃さないようにしなさい。」って言われてその瞬間にその好きな人からラインが来て、めちゃくちゃ盛り上がっちゃった。

大学時代付き合ってた彼女が横浜に住んでて、かのjyが占い行きたいとか言い出して、二人分の占ってもらったんだけど、俺めっちゃ手相特殊で、天下二回取れる相が入ってたらしくて、

「エロ線もくっきりしてるのがすごいんだよね」とかも言い出して、恥ずかしいから彼女占いから追い出して、学校でめっちゃ自慢しちゃった。そしたら彼女が起こりだして、「え?私といったことみんなに話したの?」ってキレて、喧嘩になっちゃった。だからあんまり占いにいいイメージない。

手相についてめっちゃ詳しいお二人。語りだす。互いの手相を指さしながら性格、性別とかと結び付けてめっちゃ語るやん。

手相って結構遺伝らしいよ。

京都に竹内城っていうのがあって、俺の祖先天下取ったの⁉って思ったけど調べたら全然違ったわ。だから今のところ俺はエロの方向で天下取るしかない。

楽器やってた人ってここに筋肉が浮き上がるの。野球やってて握力強い人とかってここの筋肉が盛り上がるの。だから机に手おいてるだけで、野球やってた?って聞かれる。

 

虐待のたまもの。

野球やってる人は手に厚みがある。サッカーはお尻とか内ももとかがでっかくなるイメージ。

 

この間のところは異国の地だったじゃん。

そういうカフェがないからめちゃくちゃ調べたんだけどひとつもなかった。あれは特殊だよね。あの地ならではのカフェだと思うよ。ここら辺でやったらただ商売っけのない店になっちゃうから。

 

俺も車レンタルしようかな…雲海行くの?(笑)

行かない方が良いよ。長野行ったんだけど全然見えなかったもん。

おれだったら10時発14時くらいに道中でフルーツ狩り、夕方旅館に帰って翌日長野とかいう設計にすると思う。

こういう出会い方初めてだったから

とりあえずランチ行きませんかとか言いまくってるから、大学だとそれぞれの家族事情はコミュニティの中で分かっていくけど、今はおうちの厳しさ具合を把握するのが難しい。それによってじゃあ早めに夕食しとくかとかいろいろ調整するから。

 

この人は友達だなとかこの人は違うなとか分かってくるから。

台湾で行くじゃん。滝見たいとか友達言い出して。いきなり滝⁉

んで河原で遊んだ(笑)。付き合った後みたいなイベントを付き合う前にやったの⁉

危ない人だったら山に連れていかれた恐れもあったから危険だったかもね。でも逆に考えれば、危ない人だったら滝つぼに落とせばいいよね(笑)。

 

でも東京育ちだと今更ここ行きたいとか無くなってくるよね。

京都

車でいろんなところいける

F1みたいな想像を超えてくる車出てくるよ。通勤用でだよ‼怖くない?

家が田舎だから駐車場とかは

お茶の水降りること

大学が三軒茶屋にあったんだけど、あそこ飲み屋街だから

バイトは渋谷だったし、この辺の友達

武蔵小杉住んでたころはここら辺来たけど

今は錦糸町とかスカイツリー周りにいる。

なんか去年すごいかき氷屋さんに行ってて。原宿でキッチン化―でやってるところめっちゃ行ってて、後錦糸町にもあって。そうそれで思い出した。

ああぜひ来てください。餃子おいしいので今度行きましょうや。

餃子食べたらお酒飲みたくなるよね。お酒飲むっけ?いやノンアルコールが基本かな。

酔っぱらってもこんな感じだけどね。普段から元気だから。デフォルト元気だから。急に酒飲んでシュンとされたら怖いよね。

勝手に餃子出てくる。

餃子何が好きかな。一日二食以上小麦を食べると体調悪くなるから、朝サンドウィッチ昼パスタ、夜お好み焼きとかだと死んじゃう。嫌いなわけじゃないんだけどお米挟みたい。

好きな食べ物は、生肉、生魚、生卵。急に筋肉馬鹿(笑)

焼肉と刺身。

いいお寿司屋さんだったら好きかもね。シャリ小さいから。

太鼓茶屋のマグロ食べ放題とかが好き。(地名)(店名)とかでひたすら魚食べるとかは好き。

休日だけだと予定合わなくなったら

 

私小さいチームは三人の島なの、定時前に二人いなくなるの。私だけ残業四時間で「え怒ってる?」って。

なんかちょっと前に焼き鳥の個人料理の店。鳥刺し出てきたの。すごいうーんって感じだった。

でも鳥刺しって一番勇気いるよね。一番当たるから。カンピロバクターえぐいよ。

それで私うわーもうこの店無理だって思っちゃった。

ホルモンの刺身も好き。それは筋肉をつけるため?いや体が欲してる。

ちなみにホルモンむにゃむにゃするところ、あれは安い店が出してるだけ。本当のホルモンを君はまだ知らない。こめかみ、気管とかの部分だったら低脂質高たんぱく質でうまいよ。

飲み込むタイミングが分かんない。焼けてるか焼けてないか分からない。やけどするし。

もくもく系の店。もくもく大丈夫な服装で行くべき。でも俺はこの服をずっと見ていたい。ニット系がすき。

ぴっちりシルエットが出る服は?好き。なんでも好き(笑)

 

女性ってこしのラインがきれいじゃん。俺はそこに惹かれる。丸の内に大量発生してるタイトスカート最高。あそこは永遠に出勤してられる。

夏の服装は何でもよいよ。露出というよりはライン。男にはないラインが見えるやつが好き。俺は容姿よりもフォルム重視。目パッチリで、肌綺麗で、とかよりも小さくてライン綺麗で…とか。だから今日のあなたにも感謝。

男に対してはなんかある?ないよー。そんな。ヒントもなし(笑)

短パンとかダボダボは嫌、下北によく居そうなタイプが好き。

高校の時はカジュアルだったのに、急に大学生になったらレザーズボンで超ピカピカになってた人がいて超残念だった。

俺ファッション興味持ったことないからな。その時好きだった人が好きな服装の指示に合わせて服選んでた。

 

女は男の人の恰好よくわかんないし。何が嫌なんだろう私。

俺今日あった時やべぇって思ったもん。俺のタイプの人が俺のタイプの恰好してるのやべぇって。アルコール度数で言うと40。

→これくどいてんのか?

 

ツインテールしてきたらどうすんの?一回指導入る?(笑)

それはやってるんだっけ。

ポニーテールはありがたいけどツインテールはいいかな。かわいくない?とか言われたら、周り一緒に見渡して、この場にツインテール何人いるか数えてみようかって統計的に外堀から埋めていく。個性的でしょ?って言われたら…その場では指摘できないよね。一回持ち帰る。女友達に聞く。もう一回あった時もツインテールだったら、二番目に好きな髪形なに?って聞いて、俺それめっちゃ好きだわって褒め御ロス。

もし俺が急にファッションに目覚めてどくろとか来て来たらどうする?ブーム去るまで会わないかも。ちょっと予定が…とか言って。ほっとヨガが…六時間入ってて。干からびるわ(笑)

 

パックマン事件。

大学時代付き合ってた気の強い女の子いて、博報堂に就職したくらい。

パックマンがプリントされたTシャツ着て、なにか悪いことしてるやつがいたら食べちゃうぞうとか言って笑い取ってたの。そしたらその人から急に電話きて食堂着てくんない?って言われて、まじその服装ありえないんだけど。って怒られて。男はだまって筋トレして無地着てればいいんだから‼とか言われて。無地の誓いを立てさせられて。俺はそれを十何年守ってる。

 

パックマンはさすがに怒るかもしれない。ドストレートに行ってくれないとまた着かねないからはっきり言われたんだよね。その人結婚したんだけど、いまだに言われるしね。感謝してよねとか。

それ以来ストライプすら着ていない。色が変わっていくやつとかは持ってるけど。

私もキャラクター系は着ないなぁ。

今日の服装で来られたら俺2時間遅刻されても食い気味に許すよ。休日は二時間まで誤差だよとか言って。そのくらい最強のニット。

 

結婚相手に何を求めるか。見た目は絶対入る。

私は生理的に無理な人は最初から除外してる。属にいうイケメンが自分が好きな顔と一緒とは限らないじゃん。

るろけんこの間テレビで見てたんだけど、佐藤猛、まっケンユー、全然顔違う。一方男が好きっていう女の人は顔ほとんど一緒。私は佐藤健全然好きじゃない。性格悪そうに見える。俺からしたら樋口はワイルド感を感じる。

男は感で好きとかはあんまりない。

でもよく見たらそんなにかわいくないぞとかあるよね。AKBとかそうだよね。じゃあよくよく考えたらそれはあるかも。画面で好きってなっても対面したらそんなでもないとかあるじゃん。あれ不思議だよね。

 

 

もてる男は話が終了した後も、お手洗い大丈夫?とか机ふいとくよとか気遣いもばっちり。先お手洗い行っていいよとか。具体的な地名、俳優、食べ物、店名などが会話にバンバン出てくるので彼ら彼女らは間違いなく現実を生きているのだ。俺が自分でこの内容を話そうとしたら100%途中で飽きて話打ち切りたくなる。が、彼らは実際に町の中で生き、大切な体験があるからそれを思い出す喜びで話に夢中になることが出来るのだ。

 

次いつ会う?えーっとね。今日23日でしょ。

いませんの日を言いますね。2,3日9,10日。金土死んでるごめんね。いいよ全然俺土曜すっと試合だし。俺は後は全部暇だから。予定表開く意味がないっていうね。

ご飯屋さんがやってる日だけ今確認しとくわ。月の方が忙しい可能性高い。じゃあ28日はダメ、29日にしよう。しかも今週土曜日ワクチン打つんだよね。

今度3日ね。仙台にいる上司とごはん行くんだって。お酒飲めないらしいからお昼からバク食いするんだって。いいじゃん払ってもらえるよ。

雨の木(レインツリー)

「手筋の見えるのを下手という。」

思いついた端から書き込んでいってるから、思考のスジおっぴろげで卑猥極まりないったら…💦

植物ホルモンの紹介されて、「これ将来何に使えそうですか?あなたの意見を自由にお書きください。」って課題よく出されるんだけど、こーゆー自由放任な課題が一番疲れるのよね。特に完璧主義で個性主義の僕ちゃんにとっては、調べつくされてる物質の有用性の提案なんて一ミリも書きたくないのよね。毎度結局気折れして研究者の知見まるうつしするんだよね。。。

植物にも就眠とみられる運動があるらしい。もちろんこれは人間的な解釈で実際に人間と同じように眠っているわけではない。夜になると葉っぱが閉じ、萎れたように垂れ下がる動きを見せるのだ。マメ科の植物に見られる傾向らしい。なんでマメ科

畑のお肉だから?

…なんと‼マメ科アメリネムノキ、別名”レインツリー”…‼大江健三郎の「雨の木」じゃないか‼しかし、こんな傘上の大木がマメ科??もしかして指の腹ほどのくぼみが昼間のうちに雨を溜め込んでおいて、雨が止み夜になると少しずつ雨粒を落とし、そうして明け方までしとしとと液滴を垂らし続けて、木の下だけが湿っている……という、あのレインツリーの特性は、就眠運動によるものではないだろうか‼葉が閉じてしまうから溜め込んだ雨が滴り落ちてくるのではないのか‼…しかし葉の形を見てみると無駄に広くて平らで、どうも雨粒を溜め込めるようには思えないな。

他にマメ科だけの性質がないか調べてみると、根粒菌と共生して暮らしているのはマメ科植物だけらしい。こいつがかなりの優れもので、空気中の窒素を窒素化合物に変えられる、つまり生物が栄養として利用できる形に変えられる唯一(?)の生き物らしい。