男子校の思い出

まだ知り合って日の浅い人とお話しする機会があると、決まって出身校の話になりがちである。特に僕の場合男子校という特異な環境だったからみんな興味持って聞いてくる。だから一度男子校での生活とは何だったのかについてまとめておいた方が良いだろうと思って、今日ここに書き連ねる。

僕の通っていたのは地方の私立進学校。従って、全国各地から集結した野郎どもがどでかい「寮」というハコに収監されていた。

中学時代は個室という概念がなく、高校生になってようやく刑務所並みの広さの独房を貰えた。パノプティコンほどには猟奇的な構造ではなかったが、中学時代は同じ階のすべての部屋は同じ一つの廊下に面しており、その間に舎監室が、両端には防犯カメラが設置されていた。高校時代には、中庭を囲むように部屋が軒を並べており、中学時代のように全室を一望できるわけではないと思いきや、中庭を囲う四隅は部屋ではなく大きなガラス窓、つまりそのガラス窓から中庭の方向に臨めば、対岸の部屋が見渡せるという構造なのだ。だから普通のプライバシー意識を持ってるやつなら基本的に中庭に面した自室の窓は常にカーテンで覆った状態にしてある。消灯後には廊下に面した窓と中庭に面した窓の両方から見られている可能性を考えながら、びくびくと漫画を読まねばならないのだ。

朝は7時20分に点呼、8時10分登校完了、16時半頃に学校が終わり、18時ごろに部活が終了。その後19時15分までに風呂と夕飯を済ませ、22時45分まで自習時間。そこから15分で就寝準備を済ませて23時完全消灯。どこで遊ぶねん!

生活の自由度はかなり低いし、周りに遊び方を教えてくれる大人もいない。皆それぞれ地元で仕入れてきた人生経験を基に、遊ぶ奴はどんどん出かけるし、勉強する奴はどんどん勉強するし、暇な奴はボールを追いかけたり友人とくっちゃべってたりするわけだ。

こんな環境で育った子供たちがまともな感性と品性を持っているわけもなく、今思い返してもかなり異形な面々がそろっていた。

まず一番記憶に新しいのは、Aくん。Aくんは学校の授業は一切聞かずに、東進と参考書でひたすらバリバリ独学を続けていた強者。模試の成績は大抵彼が上位をかっさらっていってた。だが彼にとって受験勉強はあくまで医学部進学のための道具でしかない。高校二・三年生頃になって思考力が大方完成されると、最低限の勉強だけして後は悠々自適な生活を送っていたように思う。中学生のころには図書館で大量の科学本を借りて読み漁っていたように記憶しているのだが、大学生になった今でも読んだりしているのだろうか?そしてまぁ勉強ができるやつにはありがちなのだが、彼はとても喧嘩っぱやかった。頭に血が上りやすいという性向もあっただろうが、それに加えて彼自身公言していたように喧嘩は人間の成長にとって良いことだと捉えているフシがあったのだ。感情を言語化し、瞬時に相手を言い負かすだけの語彙力、論理的思考力を鍛える練習になるとおそらくは考えていたのだろう。おおむね僕も賛成する。実際彼は言葉の通り、人の欠点をあげつらい、人のギャグには無邪気に笑い、喧嘩になれば一歩も引かずに真剣に口論していた。友達の顔面を殴り、授業中先生に「だるまさんがころんだ」を仕掛けるなどして何度も自宅謹慎に処され、禁止されている魚を捌き、ブスだの臭いだの罵っていた(こう書くと相当ヤバいなw)し、先生だろうが舎監だろうが反骨精神を忘れずにらみつけ、機械があれば口答えしていた。実際彼の弁論に勝てるものはそう多くなかった。口が上手いだけじゃなく噴火のごとき気迫も伴っているから厄介なのだ。彼の弁論に対抗できる見込みのあるやつも大抵は彼の覇気に押されて自ら身を引いていた。むしろ彼が一番やりにくそうだったのは、特に論理的思考が優れているわけではないが、スポーツやお喋りでどこか人を惹きつける力を持っている「権力者」かつ頭に血が上りやすくいタイプだ。

 

色々上げてきたが、日常を惰性で生きていないという点では彼らに尊敬の念すら抱いている。